智瓦太ロード(中央通り) ストーリー
                 (智頭街道、瓦町、太平線通り商店街)
                                                               <トップページへ>

中央通り理事長視察報告
〜 鳥取太平線通り、瓦町、智頭街道商店街のレトロ先進地視察報告 〜

 「中央通りお宝ディスプレイコンテスト」実施のため、鳥取太平線通り、瓦町、智頭街道の3商店街理事長が、新横浜ラーメン博物館、川越市一番街、上野下町風俗資料館を視察した。
 

 新横浜ラーメン博物館

 新横浜駅近くにある「新横浜ラーメン博物館」を訪ねる。

  一階はラーメンに関する資料及び販売の階であるが、地階は昭和30年代の歓楽街を再現している。夕暮れの空を背景に、「嵐を呼ぶ男」「鳴門秘帖」等映画館の看板、パチンコ屋の看板が浮かび上がり、周囲には、バー、キャバレー、質屋、医院、探偵事務所、銭湯、安旅館、地下中央には、大衆食堂、一杯飲み屋、揚げパン、露天商の屋台がひしめいている。

  当時の扮装の切符切りの駅員、警官、露天商のにいちゃんがおり、バーを模した店では、ハイボール、電気ブラン、露天小屋では揚げパン、ラムネが売られ、当時の流行歌が次々と流れ、一昔前の雑踏の中に迷い込んだようなリアリティがあり、猥雑さとノスタルジー、やるせなさ等が入り交じり、この中を歩いているだけで、酔ったような不思議な気分になる。抜群の演出効果である。この不思議な気分、現在の街とは異なる珍しさ、面白さを味わうためか、館内は客でごった返している。

  大衆食堂の中は、各銘柄の実際のラーメン店となっており、各ラーメン店には客が列をなしている。

 川越市一番街

 次に、土蔵造りの町並みとして知られる川越市の「一番街」を訪ねる。

  黒い、重厚な土蔵造りの建物がびっしりと並び、壁の厚みといい、構造といい、昨今造ったような表面的な建物でなく、本物の重みと堂々たる迫力があり、この本物の魅力を探るためか、リュックを背負った探訪客も多い。

  その多くが文化財という各々の建物は、実際に店舗として活用され、昔の値打ち品も展示してある等、時間があれば、ゆっくり入ってみたくなる店が多い。なかには、今では相当なプレミアム物となるであろう昔の薬の看板を何枚も展示し、また勝海舟直筆の書を掲げている店もあった。

 一番街の途中では、川越市都市計画課主催の「まちかど審査会」が、市内の新旧の建物について街頭アンケート調査を行っており、この市の、建物や景観に関する並々ならぬ情熱を感じさせる。

 一番街の南端には、明治時代から駄菓子製造を営んできたという店が並ぶ「菓子屋横丁」があり、木看板、のぼり旗、日傘等で歓迎色を出し、多くの観光客でにぎわっている。なかでも、この横丁活性化の中核となったという「田中屋」には、昔の駄菓子、駄玩具が所狭しと並べられ、ラムネ、地ビールも売られ、店内に居るだけで、楽しい気分になる。

 この後、川越市立博物館に行き、江戸時代、江戸の北の守りとともに、物資の流通拠点として「小江戸」と呼ばれて発展したという、この街の歴史と、「川越祭り」等の文化、そして、明治時代の大火の際、焼け残った土蔵が実証した耐火性に当時の商人が着目したことにより、蔵造りの町並みが築かれた経緯等の知識を得る。

本物の蔵造りの町並み、川越市一番街
超プレミアム物の昔看板をぎっしり展示しているご主人
勝海舟直筆の額
(記念撮影させてもらいました。)
菓子屋横丁

 上野下町風俗資料館

 その後、東京に戻り、上野の下町風俗資料館を訪ねる。

  都市化が急速に進み行くなか、消えていく庶民文化の記憶を次の世代に伝えたいという多くの人々の願いにより開かれた資料館とのこと。

  一階は、明治・大正時代の下町の様子。商店、人力車、駄菓子屋、長屋、ポンプ井戸などが展示され、紙芝居の実演もしている。
  二階は、辻音楽士の歌が流され、昔の知恵遊び、風呂屋の番台、カフェー、歌劇、演劇の記事やポスターなどが展示され、入館者は各々、興味深そうに眺めている。

  こうして各種の資料が立体的に展示されていると、単なる字書等より、はるかに面白く、体感的に知ることができる。ひとつの町に、このような「まちかど資料館」「面白ミュージアム」とでもいったものが2、3館はあってもいいのではないかと思う。

 新横浜ラーメン博物館は「つくられた30年代の街角」であり、川越一番街は「本物の土蔵造り、その再活用」である。上野下町風俗資料館は、営業目的の館ではないが、どうせなら面白くみてもらおうというサービス精神がある。

  共通するのは、他の町とは異なった特色、懐かしさ、珍しさ、そして遊び心である。
 

△ページのトップへ
<太平線通り商店街ホームページへ>